国境最前線で、皇室、国防を感じました。

九州支部隊員のぷにゅっくすです。

博多港から高速船で110分の朝鮮半島に近い国境の島、対馬に行きました。

対馬で色々と見学してみて、皇室、国防との深い関わりを感じました。

 

まず、対馬には神話、伝承が多く残っていますが、女性が主役です。

そもそも対馬は、古事記で「アメノサデヨリヒメ」とも称されていて女性名の島ですが、

島内に多くの女神をまつった神社があります。

現地の観光案内所での知識ですが、天皇家の祖先は、山の神の娘、海の神の娘と結婚することで、権威を得たそうです。

海の神の娘である豊玉姫が、古代から中世にかけての貿易拠点だった浅茅湾にまつられています。

やはりこのような伝承を知って思うことは、古代において女性から権威を貰うということで、男の血こそ尊いとか、

男系男子が伝統であるとかは全くあてはまらないのだろうという事です。

 

また、国境に位置するということで、国防にもかかわる島でした。

古代、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗戦したのち、対馬は最前線で山城の城壁がよく残っています。

肉眼で釜山が見えるほど外国と目と鼻の先の場所です。

モンゴル帝国の元寇の際は、最も先に戦場になり、壊滅的な被害を受けました。

1861年、ロシアが対馬の浅茅湾を半年間占拠する事件が発生。

イギリスの干渉でロシアは撤退しましたが、その後対馬には31か所もの砲台が建設され、要塞化が進みました。

全然知りませんでしたが、日露戦争の勝敗を決めた日本海海戦は、対馬近海での戦いでした。

海外では、バトルオブツシマ(対馬での戦い)として知られているそうです。

 

https://www.tsushima-net.org/special-feature/history-of-tsushima/

 

朝鮮半島の目と鼻の先で、国防と言っても朝鮮やシナは意識出来ましょうが、今もなお暴虐を尽くすロシアとの戦いが、

対馬に深く関わっていたとは全く知りませんでした。

歴史に埋もれてしまった事件なのでしょうが、ロシアは重要拠点とみるや容赦なく占領して、勝手なことをする国だと改めて感じました。

このような過去の積み重ねがあって、今後日本とロシアが平和なままとはちょっと思えません。

 

天皇の伝統とは?対露関係とは?多くの学びが得られた対馬旅行でした。