自分自身の浅はかさに反省(皇室とウクライナについて)

九州支部メンバーのぷにゅっくすです。

 

以前、私は今般のウクライナ戦争について、プーチンはウクライナのNATO入りを許さないから侵攻するだろう、ウクライナのNATO入りは沖縄に中国人民解放軍が駐留するようなもの、といった趣旨のブログを執筆しました。

 

これについて、小林よしのり先生が現在連載中のゴーマニズム宣言を読んで、浅はかであったと反省しています。

私は、世界の現状が大国の軍事力を背景にした覇権主義に結局のところなっていると思うばかりに、ひとつの主権国家としてウクライナを分析せず、プーチンは侵攻する人だからしょうがない、原因を作る西側にも責任はある、と考えました。

まさに、現代の国際法、独立国家としてのウクライナを考慮せず、価値相対主義に堕ちていました。

 

また、皇室についても、女性天皇実現の必要性は感じつつも、もしかしたら皇室は無くなった方が皇族方は幸せかもしれない。

バッシングばかり続ける国民で皇室が続いてもいいのだろうか?愛子さまは普通に結婚して一般市民の幸せを手に入れた方が親である陛下も安心するのではないか?と、考えたことがありました。

 

私は浅はかでした。

高森先生のお話や、先日のよしりん十番勝負での小林先生の告白…、上皇陛下は、愛子さまを次世代の天皇にとお考えだったこと、また、平成のお気持ち表明にも、皇室が安定的に続く事を願うお気持ちが入っています。

愛子さまも、20歳の記者会見にて、少しでも長く陛下をお支えしたいというお気持ちを表明されています。

国民は皇室を裏切り続けているのに、皇室はこれからも象徴の務めを果たしたいと願っておられることに、私の浅はかさを感じ得ずにはいられませんでした。

 

 

これらの経験から、どっちもどっちたよねという価値相対主義に墜ちないで考える事、また、一層皇室をお支えせねばならないと思いました。